データに基づく標的型デ・インプリメンテーションを日本の医療政策へ
低価値医療の問題を議論すると、しばしば単純な解決策が提示されます。
「レセプトを分析すれば、不要な検査や処方が多い医療機関は分かる。そこを集中的に査定すればよい」
この主張には、正しい部分があります。
レセプトデータを使えば、特定の検査、処方、画像診断などを著しく多く行っている医師や医療機関を抽出できます。日本のプライマリ・ケア領域の研究でも、測定された低価値医療の45.2%を上位10%の医師が、65.5%を上位20%の医師が提供していました。
低価値医療が一部の医師に集中しているのであれば、全医療機関への一律の啓発より、外れ値となる施設への重点的な介入の方が合理的です。
しかし、そこから「集中的な査定によって容易に淘汰できる」と結論づけるのは早計です。
必要なのは、一律査定ではありません。
データによって対象を絞り込み、臨床的妥当性を確認し、原因に応じて診療行動と制度を変える、標的型デ・インプリメンテーションです。
低価値医療と不適切請求は同じではない
現在のレセプト審査が主に確認するのは、診療行為が保険診療の算定要件や通知に適合しているかどうかです。
一方、低価値医療とは、保険上は算定できても、患者にもたらす利益が小さい、あるいは害や負担が利益を上回る医療を含みます。
したがって、保険適応があり、算定要件も満たしている医療を、審査側が「価値が低い」と判断しただけで査定することには限界があります。
査定の対象にするためには、少なくとも、
- どの診療行為を対象とするか
- どの患者群では価値が低いのか
- どのような場合を正当な例外とするか
- どの程度のエビデンスを必要とするか
- 異議申立てをどう保障するか
を事前に明文化しなければなりません。
低価値医療対策は、審査技術の問題である前に、 給付範囲と診療の質をどう定義するかという政策判断 なのです。
レセプトは外れ値を探すには強いが、適切性の判定には弱い
レセプトデータは、標準化、網羅性、継続性という点で優れています。
医療機関ごとの診療パターンを低コストで比較し、地域差、施設差、医師差を可視化できます。
しかし、レセプトには、症状の重症度、身体所見、患者の希望、治療歴、医師の診断推論などが十分に記録されていません。
そのため、レセプトだけで個々の診療を低価値と断定すると、適切な医療まで誤って対象にする危険があります。
政策的には、レセプトを次のように位置づけるべきです。
レセプトは、査定対象を自動的に決定する装置ではなく、追加確認と改善支援の優先順位を決めるスクリーニング装置である。
この原則を明確にしなければ、必要な医療の萎縮、病名の付け替え、複雑な患者の回避といった副作用が起こります。
標的は医療機関だけではない
標的型デ・インプリメンテーションというと、外れ値となった医療機関を標的にする政策だと理解されがちです。
しかし、本来、標的にすべきものは三つあります。
第一は、 診療行為 です。
何を減らすのかを、検査全般ではなく、患者と臨床状況の組み合わせとして定義します。
第二は、 改善余地の大きい医師、医療機関、地域 です。
単純な件数ではなく、患者背景、診療科、施設規模を調整し、複数期間にわたり持続的に高い施設を抽出します。
第三は、 低価値医療を生み出している原因 です。
この第三の標的が最も重要です。
なぜ低価値医療が行われるのか
低価値医療は、医師の無知や倫理の問題だけでは説明できません。
原因としては、少なくとも次のようなものがあります。
- 最新のエビデンスを知らない
- 自分の検査率や処方率が高いと知らない
- 患者からの要求を断りにくい
- 見逃しや訴訟への不安がある
- 忙しく、説明より検査を行う方が短時間で済む
- 電子カルテの初期設定に不要な検査が含まれている
- 他院からの処方や検査を慣習的に継続している
- 出来高払いによって追加診療に収益上の誘因がある
知識不足が原因なら教育が必要です。
患者の期待が原因なら、患者向け説明資料や共有意思決定支援が必要です。
見逃しへの不安が原因なら、再診基準、フォローアップ、悪化時対応という安全網が必要です。
診療報酬が原因なら、教育ではなく報酬設計を変える必要があります。
すべての原因に対して査定だけを用いる政策は、精度が低すぎます。
一律の啓発から、外れ値への個別介入へ
現在の低価値医療対策は、ガイドライン、Choosing Wisely、研修、啓発資料など、すべての医師を対象とする方法に偏りがちです。
しかし、すでに診療が適正化されている医師に追加研修を行っても、削減余地はほとんどありません。
今後は、レセプトデータを用いて実施率を測定し、同規模・同機能の医療機関と比較した結果を、非公開で本人に返す仕組みが必要です。
有効なフィードバックには、
- 自施設の調整後実施率
- 同条件施設の中央値
- 高い成果を上げている施設との比較
- 改善可能な具体的行動
- 代替となる診療方針
- 一定期間後の再評価
を含めるべきです。
ランキングを公開して羞恥心に訴えるのではなく、診療を変えるための情報を提供する必要があります。
第三者による診療録レビューを組み込む
レセプト上の外れ値を見つけた後は、対象施設の診療録から一定数の症例を抽出して確認します。
ここでは、
- 実際に適応が乏しかったのか
- 正当な例外が多かったのか
- レセプト病名が臨床実態を反映していたか
- 特定医師の問題か、施設全体の構造か
- 患者要因や地域事情が影響していたか
を評価します。
このレビューは、査定機関だけで完結させるべきではありません。
当該診療領域の専門家、地域医療に詳しい医師、疫学・医療経済の専門家などを含め、臨床的妥当性を検討する必要があります。
レセプト分析と診療録レビューを二段階にすることで、誤判定を減らし、介入の正当性を高められます。
政策としての段階的介入
標的型デ・インプリメンテーションは、次の段階で運用するのが妥当です。
第1段階:非公開のデータ提供
外れ値となった医療機関に、自施設の調整後実施率と比較データを示します。
第2段階:改善支援
代替診療、患者説明資料、電子カルテの設定変更、再診プロトコルなどを提供します。
第3段階:再評価
一定期間後に実施率を再測定し、改善の有無を確認します。
第4段階:診療録レビューと改善計画
改善がみられない場合は、標本症例を確認し、施設に具体的な改善計画を求めます。
第5段階:重点審査・算定要件の見直し
エビデンスと判定基準が十分に確立しており、正当な例外も少ない診療については、重点審査や算定要件の限定を検討します。
第6段階:監査・行政対応
明白な不適切請求、虚偽病名、意図的なルール回避が反復される場合には、監査や行政処分を行います。
この段階構造によって、善意の臨床判断と、組織的な過剰診療を区別できます。
成果指標は削減率だけでは不十分
政策が成功したかどうかを、検査や処方の削減件数だけで評価してはいけません。
同時に確認すべきなのは、
- 重大疾患の診断遅延
- 救急受診や入院
- 別の低価値医療への置き換え
- 正当化病名の不自然な増加
- 高齢者や多疾患併存患者の診療回避
- 地域の医療アクセスへの影響
です。
低価値医療を減らす政策が、必要な医療まで減らすのであれば、それは医療の質改善ではなく、単なる給付抑制です。
デ・インプリメンテーションには、低価値医療の削減指標だけでなく、過少医療を検出する安全指標が不可欠です。
日本に必要なのは低価値医療を減らす制度設計
日本には、全国規模のレセプトデータ、審査支払機関、保険者機能、診療報酬制度があります。
低価値医療を測定し、介入するための基盤はすでに存在しています。
不足しているのは、次の仕組みです。
- 学会横断的な低価値医療候補の選定
- レセプト指標の妥当性検証
- 正当な例外の定義
- 医療機関への比較フィードバック
- 診療録レビューの標準化
- 改善支援と安全性評価
- 患者代表を含む透明な意思決定
- 保険給付や診療報酬の段階的見直し
低価値医療を「悪い医師を探す問題」として扱えば、現場は防御的になります。
一方で、診療データを質改善に使い、検査や処方を行わない判断を支える制度をつくれば、医療者の行動は変わります。
「しない医療」を支える政策へ
低価値医療を減らすうえで、医師個人に最も不足しているのは、検査や薬を追加する権限ではありません。
検査をしないこと、薬を出さないこと、中止することを、患者に説明し、制度的にも守られる環境です。
医師が、
「今回は検査を行わない方が、かえって患者さんの利益になります」
「この薬を続ける根拠は乏しいため、中止を検討します」
と説明できるためには、エビデンスだけでなく、再診体制、患者向け情報、診療報酬、法的支援が必要です。
標的型デ・インプリメンテーションは、単なる医療費削減策ではありません。
検査や処方をしないことを説明できる自由を、医療現場に取り戻す政策です。
査定は必要な場合があります。
しかし、査定を出発点にしてはいけません。
データで見つけ、臨床的に確かめ、原因を診断し、仕組みを変え、安全性を評価する。
その全体を政策として設計して初めて、低価値医療は持続的に減っていくのです。
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